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アメリカ建国期の代表的人物、ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin 1706‐1790)。
「アメリカ合衆国建国の父」の一人として有名ですが、日本ではジョージ・ワシントンやトマス・ジェファソンの陰に隠れて、それほど知られていないかもしれません。
ベンジャミン・フランクリンは、政治・外交・著述・物理学・気象学・出版業など様々な分野で活躍(=政治家・学者・実業家)し、「アメリカの夢(American Dream)」を体現した、アメリカで最も尊敬される人物の一人です。
その生き方から、しばしば「典型的なアメリカ人」とも呼ばれています。
よく知らないという方のために、その功績や生き方、考え方などをまとめてみます。
「アメリカンドリーム」ベンジャミン・フランクリンの人生
裕福ではない家庭からの台頭
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ベンジャミン・フランクリンはイギリスから移住してきたロウソク職人の家庭で15番目の子どもとして生まれました。
のちにフィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)やアメリカ初の公共図書館を創設するフランクリンですが、幼少から高等教育を受けていたわけではありません。
決して裕福ではない家庭に生まれた彼は10歳で学校教育を終えています。
そして12歳には印刷出版業していた兄もとで見習いとして働き始めます。
結局兄とは度重なる喧嘩の末、17歳で絶縁となり、生まれ育ったボストンを出るのですが、幼少より培った高い印刷技術、そして誠実・勤勉な彼の性格がその後の人生を切り開くのです。
印刷業からアメリカ初の公立図書館設立、そして政界進出
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ボストンを出て3年間、ニューヨークやロンドンなどを転々としたのち、1726年にフィラデルフィアで印刷業を再開。
1726年には植民地時代に最も読まれていた『ペンシルベニア・ガゼット』紙を買収し、アメリカ初のタブロイド誌を発行します。このあたりから、彼は次々に台頭していきます。
1731年にはフィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館(フィラデルフィア組合図書館)を設立。
この図書館が成功を収たことにより、アメリカの他の都市にも次々に図書館が作られることになりました。
また、1734年に処世訓・格言集『貧しいリチャードの暦』を発表、彼の名はよく知られるようになっていきます。
その後は、アメリカ学術協会の設立や政界進出、フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)の創設など、多くの功績を残し、1776年にアメリカ独立宣言の起草委員となります。
独立の際には「アメリカ独立宣言」の署名者となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人になります。
科学者としての功績
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ベンジャミン・フランクリンというと政治家としてのイメージが強いですが、実は科学者としても功績を残しています。
しかもその科学や発明は、すべて独学だから驚きです。
- 雷の帯電(雷は電気をまとっていること)を証明
- 燃焼効率の良いストーブ「フランクリンストーブ」の発明
- ロッキングチェアーの発明
- 遠近両用眼鏡の発明
- グラスハーモニカの発明
ざっと挙げるだけでもこれだけの実績。
特に雷の実験は有名。その実験は、雷雨の中、糸の先に電気を蓄える瓶をつないで凧をあげを行うといった命がけのものでした。
この研究の成果によりフランクリンはロンドン王立協会の会員となります。
他にも、この時代には採用はされませんでしたが、サマータイム制を考案したのもベンジャミン・フランクリンでした。
成功に導いたベンジャミン・フランクリンの価値観とは?
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多くの功績を残したベンジャミン・フランクリンの価値観には一貫してひとつの性格があります。
それは代表作「自叙伝(The Autobiography)」やその他数多くの著作を読んでみると明らかです。
一貫した功利主義的性格
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「功利主義」とは?
功利(物事の結果として生じる効用・有用性)を一切の価値の原理と考える説。
功利主義とは、行いや制度の望ましさが、その結果として生まれる効果や有用性によって決定すべきとする考え方のこと。
噛み砕いて言うと、「こんなに役立つからやろう」「こんな効果があるからやってみよう」といった、「結果に基づく考え方」のことです。
ベンジャミン・フランクリンは何事にもこの発想を用いて物事を考え、また自らの道徳的規範を作り上げました。
「13の美徳」から見る功利主義的性格
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勤勉な性格でも知られているベンジャミン・フランクリンは自らの道徳的完成を目指して、自らが至るべき徳を13条定めました。
それが、有名な「13の美徳」です。
ベンジャミン・フランクリンの13の美徳
- 「節制」 temperance
- 「沈黙」 silence
- 「規律」 order
- 「決断」 resolution
- 「節約」 frugality
- 「勤勉」 industry
- 「誠実」 sincerity
- 「正義」 justice
- 「中庸」 moderation
- 「清潔」 cleanliness
- 「平静」 tranquility
- 「純潔」 chastity
- 「謙譲」 humility
ベンジャミン・フランクリンはこれらの美徳の修得が道徳的完成をもたらすとして、自らにそれを課しました。
しかも、すべて同時に習得することを目指そうとはせず、無理なく一つ一つ順番に取り組もうと試みます。
彼は手帳にこれらを実践するための計画表のようなものを作り、無駄なく合理的に取り組んだそうです。
「13の美徳」と信仰の関係性
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彼がこの「13の美徳」を自らに課したのは、単に自分の道徳的完成を目指しただけでなく、神への信仰の意味も込められていました。
そのため、この計13条の美徳がまとめられた文献には「信仰箇条と宗教的行為」というタイトルがついています。
また、彼の手帳の計画表に、
「われこの信仰を守りつづけん。(造花の妙なるによりてものみな高らかに告ぐるごと) われらが上に、まこと、神のましさば、神は徳をこそ嘉したまわめ。しかして神の嘉したまうもの、あに幸いならざんや。」
(キケロ『トゥスクルムにおける談論』第5部からの引用)
というような祈祷文が書かれていたことからも明らかです。
それではなぜ、教会などで説かれるキリスト教の既存の道徳律を採用せずに、独自のものを設定したのでしょうか?
この理由を考えると、彼の功利主義的性格がわかってきます。
彼の『自叙伝』にはこんなエピソードが書かれています。
終いに彼はピリピ書第4章の次の一節を説教の題にした。「終わりに言わん、兄弟よ、凡そ真なること、いかなる徳いかなる誉にても、汝等これを念え」(ピリピ書4章8節)私はこのような題の説教なら、必ず何かの道徳の話が聞けるに違いないと思った。ところが彼は、使徒パウロが言おうとした第1、安息日を聖日として守るべし。第2、聖書を怠らず読むべし。第3、公式の礼拝には規則正しく出席すべし。第4、聖餐を受くべし。第5、神の僕たる牧師にふさわしき敬意を払うべし。これらは皆よいことではあろう。しかし、私がその題目から期待したものとはまったく種類の違った善行であったから、私はほかの題目の場合とても同様、私の求めるものは聞かれまいと失望し、愛想をつかして彼の説教には二度と出席しなかった。私はそれよりも数年前(1728年)に、自分用のちょっとした儀式文、つまり祈祷形式を作って、それに「信仰箇条と宗教的行為」と題をつけておいたが、私は再びこれを使うことにして、もはや公式の集会には出席しなかった。
出典:『フランクリン自伝』 (岩波文庫) 第6章からの抜粋
このエピソードからわかるように、彼は当時教会で説かれていた伝統的で形式的な道徳律・聖文の解釈には意味を見いだせませんでした。
なぜならそれは、道徳律自体に有用性がなかったからです。
だから本当に自分に必要で自分の役に立つような道徳を、信仰ともひそかに関係する形で「13の美徳」として設定し、みずからの道徳律としたのです。
つまり彼は、信仰からも有用性を求めていたというこがわかります。この点からも彼の功利的主義な性格を明らかになります。
そしてこのように、徹底した「利益、効用を重視する功利主義的な考え方」「自らが定めた徳を一つ一つ実践していこうとする勤勉さ」こそが彼を成功に導いたのです。
おわりに
ベンジャミン・フランクリンが「典型的なアメリカ人」として今もアメリカで尊敬され続けている理由には、その功績や人生だけではなく、考え方や人物像がありました。
「形式にこだわらず、利益、効用を重視する考え方」は、アメリカ人的な考え方の典型のようにも見受けられます。
フランクリンの有用さを求める勤勉な生き方は、現代人でも学ぶことが多いようです。