東ティモールとはどんな国?21世紀で最初に独立した、アジアで最も新しい国

photo by J.P. Esperança

「21世紀で最初に独立」した新しい国、東ティモール。

東南アジアにありながら、まだ日本人にはほとんど知られておらず、まだ未知の国との印象が強いかもしれません。

一方、近年では東ティモール産のコーヒーが注目を集めるなど、少しずつその名を目にする機会が増えてきました。

今回は、そんな東ティモールとはどんな国かについてご紹介したいと思います。

東ティモールとはどんな国?

21世紀で最初に独立した、アジアで最も新しい国

photo by Kate Dixon

東ティモールは、東南アジアに浮かぶティモール島の東半分と(西半分はインドネシア)、西半分の中に飛び地として存在するオクシエ地区(アンベノ地区とも呼ばれる)、さらにそのティモール島周辺のアタウロ島、ジャコ島の2島によって構成される国。

アジアで最も新しい国であり(記事投稿日現在)、「21世紀最初の独立国」としてもしばしば紹介されます。

歴史的には、16世紀頃から20世紀後半に到るまで、長らくポルトガルの植民地だった地域。

20世紀後半にインドネシアによる併合宣言、独立運動と紛争、独立に関する住民投票と国連の介入による治安回復などを経て、2002年5月20日に正式に独立国となりました。

東ティモールの概要

photo by Kate Dixon

正式名称は「東ティモール民主共和国」。首都はディリ。

国土の面積は岩手県とほぼ同じ大きさ。また、日本の首都4都県(東京,千葉,埼玉,神奈川)の面積を合計すると、これとほぼ同じくらいの大きさになります。

人口は約118.3万人(2015年)と、石川県、大分県(2016年)と同じくらいの規模。

民族は大半がメラネシア系であり、その他にマレー系、中華系、ポルトガル系とその混血などがいます。

言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語。また、実用語としてインドネシア語や英語も使われています。

その他、多数の民族の独自の言語も使われており、様々な言葉を話す人々が混在しています。

photo by Nomad Tales

上の写真が東ティモールの国旗。

デザインの由来は、次のことを意味しています。

  • 黄:植民地主義の痕跡
  • 黒:克服すべき反啓蒙主義
  • 白:平和
  • 赤:祖国解放のための戦い
  • 星:未来への希望

宗教は、長らくポルトガル植民地であった影響もあり、キリスト教(カトリックが大半)が全体の99%。

残りの約1%は隣国インドネシアで全体の8割以上を占めるイスラム教が占めています。

また、通貨は主に米ドルが使用されています。

観光地としての東ティモール

photo by Chieee

東ティモールは観光地としてはあまり一般的ではなく、日本での知名度も高くない国です。

旅行者向けの観光地も多くはなく、旅行先としては中・上級者向け。あるいはあまり他の人が行ったことのない地域を好む、好奇心旺盛な人向けの場所かもしれません。

飛行機は日本からの直行便はなく、バリ経由やシンガポール経由が一般的。

通貨はドル。言語はポルトガル語がわかれば安心ですが、英語も一部では通じるようです。

これと言った見所や主要な観光地を挙げることは難しいのですが、旅行経験者の体験記などでは、人の手が加えられていないありのままの海や自然、キリスト像「クリスト=レイ像」や現地の博物館などが紹介されることが多いようです。

未知の国の美しい海・大自然と景色

photo by Chieee

東ティモールの大きな魅力は、日本や他の国の観光地などではあまり見れない、ありのままの自然を目にすることができるということ。

コバルトブルーの海は透き通っていて美しく、人の手が加えられていない自然を体感することができます。

Cristo Rei(クリスト=レイ像)

photo by Eduardo M. C.

東ティモールではおそらく最も有名な観光地。

首都ディリの町外れの海辺にあり、世界でも有数の大きさのキリスト像だそうです。

階段を登り、像の足元に到達すると、ディリの街と美しい海が高台から見下ろせます。

Tais Market(タイスマーケット)

photo by Asian Development Bank

「タイス」とは東ティモールの名産の織物のこと。織物を使った様々なアイテムが売られています。

お土産を買うならここがおすすめ。異国の民芸品が好きな方にはぴったりのエリアです。

首都ディリ市内の博物館

photo by Ellen Forsyth

首都ディリ市内には博物館があり、東ティモールの植民地支配からの独立の歴史を学ぶことができます。

  • The Archives & Museum of East Timorese Resistance
  • The Walk Through CHEGA! Exhibition

ネットでは上記の2つの博物館の紹介が多く、「The Walk Through CHEGA! Exhibition」については、実際に使われていた牢屋を改装して作った建物だそうです。

TIMOR PLAZA(ティモールプラザ)

photo by Muh. Sirojul Munir

首都ディリの中でも、一際目を引くのがこの商業施設。

2011年にオープンしたデパートで、ホテルや映画館まで併設された、東ティモールの最先端の商業集積です。

買い物をしている人の多くは、高所得者や外国人のようですが、旅行で訪れた際には一見の価値がある場所でしょう。

旅行に行く際は細心の注意を

まだ、開発途上国であるため、旅行に行く際は入念な下調べと準備が必要です。

特に衛生面、感染症に対する予防接種、医療機関の情報などは事前に押さえておきたいところです。

外務省のホームページに、東ティモールの医療事情や旅行時の注意点が記載されておりますので、是非ご参考にしてみてください。

外務省HP(世界の医療事情-東ティモール) http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/asia/easttimor.html

石油・天然ガスに大きく依存する経済

photo by Ken Hodge

東ティモールの国家収入は石油・天然ガスに大きく依存しており、それらがGDPに占める割合は8割に達しています(2011年)。

政府はその資源からの収入をもとに公共事業へ積極的な投資をし、インフラ整備を進めていますが、未だ人口の4割が貧困層とされ、アジア最貧国の一つに数えられます。

しかも、それらの資源も近い将来枯渇する可能性が高いと言われており、資源収入に依存した経済構造からの脱却が国の大きな課題とされています。

近年注目されている「東ティモール産コーヒー」

photo by United Nations Photo

そんな中、輸出産業として国が力を入れているのが、コーヒーの栽培。

今や国民の4人に1人がコーヒーで生計を立てていると言われており(2011年)、アメリカや日本の一部のNGO団体なども支援に乗り出しています。

日本でも、コーヒーの名産としての「東ティモール産」は知名度が上がってきており、フェアトレード商品として、積極的に消費をしていこうという動きもあります。

東ティモール産コーヒーは、しっかりとした苦味が特徴。酸味は抑え気味で、ほのかな甘みが感じられるものが多いです。

近年、品質が高まってきており、苦めのコーヒーが好きな人にはおすすめです。

植民地支配と独立運動の歴史

ポルトガル、オランダの植民地支配

photo by Kate Dixon

東ティモールが位置するティモール島は、もともとはポルトガルの植民地。

16世紀頃からポルトガルの植民地支配を受けていたと言われています。

当時のポルトガルは、発展した航海技術を背景に、アジア・アフリカ地域を中心に、積極的に世界進出を進めていました。

マカオ(ポルトガルと歴史的な関係が深い)にポルトガル人が居住し始めたのもこの時期であり、また、ポルトガル人が日本の種子島に上陸し、鉄砲を伝えたのもこの時期になります。

19世紀にはオランダがこの島に進出。当時のオランダは、東南アジアに「オランダ領東インド」と呼ばれる植民地領土を広げており、ティモール島の西側がオランダ領に、東側がポルトガル領となる分割が行われました。

このことが東ティモールが単一の国家として独立する歴史的な背景となっています。

第二次世界大戦後

photo by Chieee

時代は流れ、第二次世界大戦下、ティモール島は東南アジア一帯に侵攻する日本軍の支配を受けることになりました。

しかし日本軍の支配は長くは続かず、終戦後、日本軍が引き上げると、ティモール島の西側と周辺の他のオランダ領の地域(島々)がインドネシアとして独立。

一方、ティモール島の東半分は、第二次世界大戦終結後も依然としてポルトガルが植民地支配を続けていました。

転機が訪れたのは、1974年。ポルトガル内で政治体制転換があり、樹立された新政権は植民地の放棄を表明(カーネーション革命)。これにより、ポルトガルの植民地支配は終結しました。

ポルトガルの支配がなくなった東ティモールでは、一つの国家として独立することを主張する独立派と、同じティモール島の西半分を領有するインドネシアの一部になり、併合されようとする併合派の間で対立が起きることになりました。

独立派は1975年11月に東ティモールの独立を宣言しましたが、すぐにインドネシア国軍が進攻。同地域の領有を主張しました。

翌年の1976年には、当時の大統領だったスハルトが、インドネシアの一つの州として併合することを宣言。

独立を求める独立派を、インドネシアが武力で弾圧するという構図となり、インドネシア占領下では20万人以上の東ティモール人が命を落としたと言われています。

東ティモールの独立

photo by Kate Dixon

転機は1998年に訪れます。

インドネシアで民主化運動が起こり、スハルト政権が崩壊。

後任の新政権は東ティモールの独立容認の立場を取ったことから、急速に独立の気運が高揚しました。

翌1998年には国連が支援のもと、独立に関する住民投票が実施。78.5%の独立支持により、東ティモールの独立が事実上決定することになりました。

しかし、その結果を不服とする併合派が武装した民兵を組織し反発。

インドネシア国軍がこの事態の鎮圧を試みるも、抑えられず、国連の多国籍軍が派遣されることになりました。

その結果、紛争は収拾に向かい、2000年には国際連合東ティモール暫定行政機構が成立。

そして2002年5月20日、ついに東ティモールは「21世紀最初の独立国」として、正式に独立を実現させました。

おわりに

東ティモールは長い植民地支配と独立運動を経て生まれた、独立国家としてはまだ新しい国です。

アジアの中でも最貧国の一つに数えられ、経済基盤はまだ脆弱ですが、一歩一歩国家としての歴史を歩み始めています。

日本ではなかなかニュースが入ってこない国ですが、ぜひ注目してみてはいかがでしょうか?

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